「見えない」ものを「見よう」

いよいよ戦争法案(安全保障関連法案)が国会に上程されました。 戦争を拒否した憲法を持つ日本が戦争をする国になることを許すのかどうかの正念場を迎えました。最近の各種世論調査ではいずれも「反対」が「賛成」を大きく上回っています。民意的には法案はすでに拒否されたことになりますが、政権の方針に反する民意は無視をするのが、安倍政権の特徴ですから油断はできません。 今回の法案提出に当たって、アメリカの戦争に巻き込まれるのではないかという質問に、安倍首相は何の根拠も示さず「絶対にありません」と強弁するだけで、当然の疑問に答えようとしません。また自衛隊員のリスクが高まるのではないかという質問に、中谷防衛大臣は「変わらない」と答え、さらなる質問に対し「万全を期す」と言うだけで、疑問に誠実に答えようとせず、政府に対する国民の不信は高まる一方です。 中国の春秋戦国時代に書かれた『論語』の中にこんな話があります。弟子に政治について問われた孔子は「食(食糧)と兵(軍備)と信(民の信頼)が大切だ」と答えます。どうしても取り除かなければならない場合は何を、という問いに対し、孔子はまず「兵」を、次に「食」を外し、最後に残したのが「信」でした。そして「民に信無くんば立たず」と、その理由を説明しています。つまり「国家に対する民の信頼がなければ、国家は立ちゆかない」ということです。現在の日本の政治状況が、まさにこの「立たず」の状況だと言えます。 国民の不信や不安は、その本質が戦争法案である法案を「平和安全法制」と言葉で糊塗しようとする政府の姿勢に、何か大切なことが隠され見えなくさせられているのではないかと気づき始めたことを意味します。これから始まる国会論戦や様々な場面で、「見えていない」ものが「見えてくる」ことが期待されます。しかし、忘れてはならないのは、こうした事態になったのは、「見えているのに見てこなかった」という国民の側の問題があるということです。 主権者である国民の責任は、選挙で終わるのではなく、その後の政治を監視することにあります。日本の平和と民主主義が問われる今だからこそ、私たちは「見よう」という強い意志と「見せろ」という要求を、実際の行動に表すことが大切ではないでしょうか。

「大井九条の会」代表 田村 嘉浩

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