私の昭和三十年代から四十年代の記憶から

 祖父母や両親、弟の六人家族での生活は、貧しいながらも楽しい我が家でした。


 私は昭和二十七年に誕生しました。終戦から七年後のことでした。記憶に残る小学生時代の昭和三十五年前後のことを思い出しながらまとめました。       
 父は、国鉄職員で昼夜問わず働く働き者でした。母は、父を支え兼業農家の野良仕事や家事に追われて昼夜問わず働く働き者でした。祖父は、漁師。祖母は、畑の作物をリヤカーにのせ八幡様での朝市で売っていました。たいしたお金にはならなかったのでしょうが、にぎやかに集うお店は、自分の自慢の品物をそろえて売っていました。祖母は、笑顔で売っていた記憶があります。外房の漁港の町(昭和二十九年沖合漁業の基地として港が整備された。大原漁港)でしたから新鮮な魚はもちろんのこと、野菜もたくさん売っていました。

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天ちゃん

 

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