民主主義をあきらめない~戦いはこれからだ~

憲法九条は正解の宝

憲法九条は正解の宝

昨年七月に集団的自衛権行使を容認する憲法解釈が閣議決定されました。そのことに危機感を持ち、十一月二十九日に大井九条の会が発足しました。あれから十一ヶ月が経過しました。

この間、事態は急展開し、五月に安全保障関連法(戦争法案)が国会に提出され、七月に衆議院で強行採決、そして九月に参議院で強行採決されて、法案は可決・成立しました。忘れもしない、九月十九日未明のことです。この日を私たちは、日本の民主主義が、時の政府によって、蹂躙された日として忘れることはないでしょう。

平和国家としての日本は、憲法の理念である平和主義、特に九条を根幹にして、戦後70年間維持されてきました。日米安保条約を結び軍事による安全保障政策を進めてきた歴代の自民党政権でさえ、憲法上、集団的自衛権は行使できないとしてきました。それが一政権である安倍政権によって、いとも簡単に覆されてしまったのです。

今後、半年のうちに戦争法は施行され、新法制のもとで現実に自衛隊が海外に派遣されることになれば、国のかたちは大きく変わります。世界に展開する米軍と自衛隊が一体化することで、戦争に巻き込まれる可能性はますます高まることになるでしょう。安倍首相は、戦争法の成立によって日米同盟が強化され、抑止力がさらに高まることで、日本が攻撃を受ける可能性は低くなるといいますが、信じることはできません。国民の間で理解が進まず、逆に反対の声が広がったのは当然のことです。

今回の強引な手法による戦争法の成立で、日本は多くのものを失いました。法案では集団的自衛権を行使する要件として「存立危機事態」を掲げていますが、戦争法の成立、そして安倍政権の存在そのものが「存立危機事態」になっています。ほとんどの憲法学者から違憲だと指摘された法案を、国会に提出する前にアメリカに公約し、多くの国民の反対の声に耳を傾けず、数の論理で強行採決してしまう。憲法は国民が国家権力を縛るものだという立憲主義の理念を踏みにじる、何でもありの一種のクーデターであり、ナチスによる全体主義・一党独裁の政治に通じるものです。

今、日本の民主主義は試されています。

かつて私は授業の中で、カンボジアの地雷問題を扱い、「地雷ZERO~21世紀最初の祈り」というビデオを見せました。そこには地雷によって片足を失った少女が登場します。「世界に起きている紛争は、私たちが政治に無関心であることの延長上にある。」これはビデオを見た、ある女子生徒が書いた感想の一部です。「紛争」を「戦争法の成立」に置き換えれば、今の状況に当てはまります。政治に関心を持つこと、それが民主主義が脅かされている今を変える力になります。そして、その兆候はすでに表れています。国会周辺や全国至る所で、今まで政治への関心が低いとみられていた若者や母親ら普通の市民が、個人の意思で声を上げ、デモや集会に参加しています。「民主主義が終わったら、また始めればいい。」これはSEALDsの奥田さんの言葉です。国民が政治に関心を持ち、政府の判断や行動への監視を強めることが大切です。戦争法は成立しましたが、戦争法を現実に発動させない、戦争法を廃止する戦いはこれからです。民主主義をあきらめるわけにはいかないのです。

「大井九条の会」代表 田村 嘉浩

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