「罪を犯した人と向き合う」ということ

 保護司の活動をしていると「危なくないの?」と聞かれることがありますし、家族に心配されることもあります。2年前に起きた保護司殺害事件を受けて心配の声が大きくなっていることを実感しています。
 再犯は実際に起こり得ます。保護司として活動する中で、私自身も落胆し考え込んだ経験があります。ですから「人は必ず変われる」と言い切ることはできません。
 一方で「犯罪者」という、罪を犯した人たちを一括りにするこの言葉に違和感を覚えることがあります。罪を犯した事実は永遠に消えることはありません。被害に遭われた方やご家族の苦しみが軽くなることもありません。そして、もし自分や家族が犯罪被害に遭ったらどうだろう、加害者を許せるだろうかと考えることもあります。「犯罪者の人権など認めたくない」そう思うことがあるかもしれません。それでもなお私は、罪を犯した人にも人権はあると考えていますし、そう伝えていくことが保護司の大切な役割だと感じています。人権とは、善良な人だけに与えられるものではありません。どのような人であっても、生まれながらに持つ権利です。罪を犯せば責任を負います。裁判を受け、刑罰を受けることもあります。しかし、罪を犯したことで自由が制限されることはあっても、人間としての尊厳そのものまで奪われるものではないと考えています。
 保護司活動を通じて感じるのは、犯罪や非行を一括りにはできないということです。同じ犯罪でも、その背景はさまざまです。恵まれた環境で育った人もいれば、虐待や暴力、貧困の中で育った人もいます。長い孤立や生きづらさを抱えながら成長した人もいます。それらが犯罪を正当化する理由にならないことは言うまでもありません。しかし「何をしたか」だけではなく「なぜそこに至ったのか」を考える視点も、私たち、そしてこの社会には必要ではないでしょうか。
 非行歴のある若者が公園にいるだけで通報されることがあるという話を耳にしたことがあります。地域の人が警戒する気持ちも理解できます。けれど同時に「その若者はどこで過ごせばよいのだろう」という思いも湧いてきます。「更生しろ」「社会に戻れ」そう言われても、どこへ行っても過去だけで判断される、そんな現実があります。私は、人を信じることの難しさを知っています。再犯があることも知っています。ですから、理想論を語るつもりはありません。それでも「どうせまたやる」「一生変わらない」と決めつけてしまえば、人が立ち直る機会まで奪ってしまうことになりかねないと思うのです。一度の過ちだけで人生のすべてを決められてしまう、そんな社会であってほしくないと願わずにはいられません。
 更生保護という言葉を聞くと「自分には関係ない」と感じる人もいるかもしれません。更生保護とは、罪を犯した人の立ち直りを支援するためだけにあるのではなく、新たな被害者を生まないこと、誰もが安心して暮らせる地域社会をつくること、そのための活動です。犯罪のない社会を願うなら、更生保護は誰にとっても無縁ではないはずです。本町には今年、被害者支援の条例が新たに制定され、安心して暮らせる町づくりは一歩前進したと言えるでしょう。しかし、安心して暮らせる地域を築くためには、被害者を支える取組と同時に、新たな加害者を生まない取組も欠かすことはできません。今後その必要性について、多くの方と一緒に考えていきたいと願っています。
        重田 有紀

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