公害の原点「MINAMATA」は終わっていない

 熊本県のチッソ水俣工場の工場廃水を原因とした水俣病。その実体を世界中に写真で伝えたユージン・スミスと妻アイリーン・スミスの写真集『水俣』をモチーフにした映画「MINAMATA-ミナマタ-」が公開された。さっそく見に行き、被害や迫害に苦しみながらも企業や国と闘う被害者たちの姿や3年間水俣に住み込んで彼らを撮影し続けた主人公ユージンの姿に強い感銘を受けた。
主演・製作を努めたのは、ジョニー・デップ。ジョニーと言えば「パイレーツ・オブ・カリビアン」「チャーリーとチョコレート工場」などで知られるアメリカの大スターだ。そんな彼がなぜ日本の水俣病という公害問題を扱った社会派ドラマを自らプロデュースし主演したのか。ジョニーはあるインタビューで「水俣で起きていたことを知り、とても衝撃を受けた。しかし、それは解決されたわけではなく未だに続いていることがより衝撃的だった。この歴史は語り継がなければいけない」と、この作品に対する思いの強さを語っている。実際に彼の演技は、時に彼の印象が消え、ユージンそのものとしか思えない瞬間があるほど、魂のこもったものだった。
56年に水俣病が公式確認されてから65年。いまだに政府は、胎児や幼児の時にメチル水銀に汚染された未確定患者と、裁判を争い続けている。映画の中で、真田広之演ずるリーダーを中心とした被害者団体の熊本第一次訴訟(69~73年)の闘いが描かれている。それはチッソによる隠蔽や妨害、企業城下町特有の激しい反発や差別・偏見などに立ち向かう、厳しい闘いだった。73年に熊本地裁で原告勝訴の判決が下り、チッソは認定されたすべての患者に補償金を支払う約束をした。これで水俣病問題は解決したかに見えたが、この判決後、申請者が急増し、政府は患者認定基準を厳しいものに変更。これに対し反対運動や数次にわたる訴訟が相次ぐことになった。政府は問題決着のため、不合理な基準は見直さず、「患者」ではなく「被害者」という区分を設け、今後訴訟を起こさないことを条件に一時金の支給などを決定。95年以降2度の救済策で、延べ7万人以上が対象になったが、一方で、厳しい認定基準のために症状がありながら救済されない人が残された。今年の八月までの患者認定申請数28,114件に対し、認定されたのはわずか2,283件、そのうち患者の高齢化ですでに2千人弱が亡くなっている。現在、約1,400人がいまだ認定申請中で、国などを相手に裁判を続けている人が約1,700人いる。
ユージン・スミスは写真集『水俣』の序文で、チッソや国に敢然と立ち向かう水俣の人びとについて「私たちが水俣で発見したのは勇気と不屈であった。それはほかの脅かされた人びとを勇気づけ屈従を拒ませるのみならず、状況を正す努力へと向かわせるものであった」と記している。また、ユージンに感化され「MINAMATA」を製作したジョニー・デップは「この映画は、腐敗を露出させることが人びとを動かすことを描いている。この小さな漁村でそれができたのなら、世界中で可能ではないか」と語っている。水俣病は「公害の原点」と言われるが、映画のラストで福島の原発事故など、水俣病と同じ構造を持つ世界中の映像が映し出された。被害者の闘いが続く限り、公害の原点「MINAMATA」は終わっていないし、過去の出来事にしてはならないと改めて考えた。
大井九条の会代表 田村嘉浩

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